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インディペンデントムービーを中心にセレクトした作品を、その製作者のインタビューとともに2週間限定のWeb上映を行う「lute cinema」。第1弾作品は、2014年に劇場公開されたドキュメンタリー映画『わたしたちに許された特別な時間の終わり』。これは、ドキュメンタリー監督であり、俳優としても活動する太田信吾が「ミュージシャンとしての成功を夢見た友人の自殺」という事実を題材に、実に7年という長い年月をかけて完成させた作品だ。

誰もが目を背けたくなるテーマを、フィクションパート、ドキュメンタリーパート、さらにはそのどちらとも判別のつかないパートによって複雑に切り取った太田は、この映画にどんな思いを込めたのか。映画の主人公・増田壮太を知るきっかけにもなった太田の母校・浦和西高校の軽音部の部室で語ってもらった。

text_奥村健太郎 photo_山口雄太郎 撮影協力_浦和西高校

【おしらせ】lute cinema vol.1『わたしたちに許された特別な時間の終わり』は、2週間の上映期間を終え2017年2月10日16時をもって公開終了となりました。たくさんのご視聴ありがとうございました。

映画への第一歩は、全く違う価値観を持つ2人の出会いから

——今日は高校時代に所属されていた軽音部の部室での取材です。太田さんはどんな高校生でしたか?

正直、あんまり学校には行ってなかったですね(笑)。(高校の)受験勉強は頑張ったけど、そこで息が切れてしまって。高校2年の終わりぐらいから、昼間は学校に行かずに家でずっと映画を観て、夕方ぐらいにようやく登校する、という生活でした。

——どんな映画を?

ケーブルテレビに日本映画をずっと放映しているチャンネルNECOというチャンネルがあって、そのチャンネルで河瀨直美監督の『萌の朱雀』とか、諏訪敦彦監督の『2/デュオ』という映画を偶然観て、初めて映画を意識し始めました。その流れで、ヒッチコックなどのアメリカの古典映画や、小津安二郎、黒澤明、成瀬巳喜男なんかを片っ端から観ました。自主自立を大事にする高校だったので、ほとんど授業は受けずに、映画を勉強する毎日でした。

——映画の主人公であり、学校の先輩でもあるミュージシャン・増田壮太さんを知ったのはこの軽音部でのことですよね。

はい。増田君は2つ上の先輩で、僕が存在を知った時には既にちょっとした有名人でした。実際に彼の音楽はかっこよかったし、ヤマハからデビューしていたので、ライブの時には教室が人でいっぱいになっていました。いつかは話したい、一緒に何かやってみたいなと思う憧れの存在でしたね。

——増田さんとはどのように知り合ったのですか?

高校では知り合っていなくて、僕が大学に入った頃、共通の知人から「映画をやっている後輩がいるらしい」と聞いたらしく、増田君がmixiで「ライブの映像をとってくれないか」って突然メッセージを送ってきたんです。カメラを4、5台持って、友達と彼のライブを撮りに行ったのが初めての出会いでした。

——彼を映画の題材にしようと思ったきっかけは?

そのライブの撮影をきっかけに友達になって、ある日彼の引っ越しの手伝いをしたことがあったんです。その後2年くらい経ってから、彼が実家に戻るという連絡がきて。というのも、都内での音楽活動が上手く行かなくて、精神薬を飲みすぎて危ない状態になったんですね。

その状態の彼と2人で引越し作業をしても僕まで鬱々としてきそうだったから、彼とは対極の明るい性格のやつを連れて行こうと思ったんです。それが、映画のもう一人の主人公の冨永蔵人(くらんど)君で、僕はその日用事があって途中で帰ったのですが、2人は意気投合して朝まで飲んだらしいんですよ。蔵人君もクラシック音楽をやっていて、増田君みたいなスター性はないけど、おもしろいキャラクターのやつで。

映画の世界って、そういう色んな価値観の人たちが共存できる場だから、2人が意気投合したことを知って、「これは映画になるかもしれない」って。そこから本格的に撮り始めました。とはいえ、実際は遊びのための口実というか、撮影をしようと言って花見をしたり、江ノ島の海に行ったり、みたいなことを繰り返していました。増田君が引きこもりがちなことを知っていたので、なるべく外に連れ出して(溜め込んだものを)発散してもらおう、と思っていたことを覚えています。

「ミキサー、そして沈殿 俺待ち」

生者としてではなく、死者を憑依させた「巫女」となって語る

——この映画の最大の特徴として、フィクションとノンフィクション、さらにはそのどちらとも判別のつかないシーンが入り混じっている点があげられます。そもそも、こういった構成にした狙いは?

多くの人はフィクションとドキュメンタリーを明確に区別しているような印象があるのですが、僕はフィクションって日常の中に介在しているものじゃないかと思っていて。例えばどこに信号機を立てるかとか、どこに交差点を作るかによって、そこで起きる出来事や人々の会話も変わってきますよね。そう考えると、フィクションはいたるところにあると言えるし、そういう要素が映画に使えるなら使ってもいいな、という認識がもともとあったんです。

ただ、特にこの映画に関して言うと、やっぱり「死者の声に耳を傾けたい」、「自殺を生者の視点で語るべきじゃない」という気持ちが強くて。僕は大学の時に、哲学のひとつである「物語論」を学んでいて、「誰かによって語られた歴史・史実に対して、別の側面から光をあてる」という作業をしていました。その中で、やっぱりこちらから聞きに行かないと聞こえない、想像しないと見えてこない事実があったんです。例えば俳優にしても、昔は(現世に)降ろしてきた神を演じる、ということを、能や狂言といった伝統芸能の世界でやってきたわけで。

それと、彼は遺書を遺しているのですが、正直に言ってその内容は僕には綺麗事にしか思えなかったんですよ。実際彼はもっと苦しんでるし、色んな人、社会システムに怒り違和感を感じていた。みんなが立ち尽くし泣いているお葬式の場は、言葉は悪いですけど偽善にも見えてしまった。動けよ。何かしろよ、って。その時に覚えた怒りがあったからこそ、その怒りは自分に跳ね返り、その(死者に憑依して語るという)作業をしてなくてはと思い、フィクションのパートを入れることにしたんです。

——死を取り上げている以上、ご遺族の方や色んな関係者を含む制作になったはずです。フィクションを入れることへの葛藤はなかったのでしょうか。

そもそも(このテーマで)映画にするべきかどうか、ということに対しては葛藤がありましたが、フィクションを入れて良いのか、に関しての葛藤はなくて、むしろ使命感のほうが強かったですね。ただ、自殺という事実は隠したい親の方が多いから、増田君のことを映画にしたい、という気持ちをご家族に伝えるまでは時間がかかりました。実はお葬式にもカメラを持っていったのですが、結局撮れずじまいで。

——出せなかった?

はい。「撮ったらダメだろう」という思いと、「映画にしたい」という思いのせめぎ合いでした。一応、増田君の弟には許可をもらっていたんですけど。やっぱり映画においては(映画に関わる人との)関係性が大事だし、それなしには公開できないと思っていたから、そっちを選択したんだと思います。

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